edgefirstのブログ

国内新聞社を中心としたマスメディア関連のウェブサイト巡回が趣味です。業界紙的なノリでトピックスをメモしていきます。

中日・小出社長「活字文化を断固として守る。来年の電子版は紙の補助」


 6月に就任した中日新聞社小出宣昭社長が、9月26日に業界紙との共同会見を行い、各紙それぞれ大きく取り上げている(9月28日付の「新聞情報」では見開きを使って大々的に詳報)。事実上の社長就任の所信表明演説といってもいい内容で、経営方針や未来への展望について語っている。非常に興味深い内容であるが、当ブログは新聞社とネットの関わりがメーンテーマであるので、そこに重点をおいて発言を紹介していきたい。
 読売の渡辺会長は昨年、販売店の総会で「紙の新聞が将来にわたって中軸、電子メディアは紙の補完」と発言したが、小出社長の発言も似たようなものとなっている。なお出典は9月30日付の「新聞之新聞」より。

昨今の経営状況について

 厳しい経済環境、厳しい時代というのはこれまで何度もあった。長い新聞社の歴史で見ると、平成20年というのは昭和20年と比べたら別にどうということはない状態。厳しい経営環境であることは事実だが、その厳しさに振り回されないように対応したい。世の中は、良い時代もあれば悪い時代もあるのが当たり前。私自身、危機感がないと叱られるかもしれないが、ものすごく厳しいとか、暗い気持ちになるとか、そういうことは不思議にないので、こういう状況も当然であると感じている。

 設立して間もない会社や、変化の激しいIT業界において、「今の状況は敗戦直後に比べたらどうということはない」と言ってしまえる経営者はいないであろう。このあたりさすが戦前から続く伝統ある会社の経営者の発言、という感じだ。

電子新聞への参入について

 (電子新聞は)本当に無視できないけれども、これを考えるときには、新聞人というのは断固として活字文化を守るという気合がいると思う。ネットなどのニューメディアが出てくると、もう新聞は時代遅れだといっておたつく現象が今の新聞界にはある。千年も続いたこの活字文化が、ネット如きにすぐふらふらするという、そういう精神構造の方が怖いと思っている。私は大前提としてどんなことがあっても活字文化は守る、断固守る。(中略)

 電子新聞、ウェブサイト、ネットというのがものすごい金脈であるというデータはたぶん一つもないのではないか。だから慎重に取り上げないといけない。どうしても日本は流行に弱い国で、バスに乗り遅れるなと、あれは大政翼賛会の標語だ。そのバスが一体どこへ行くかということをあまり考えない。でも、乗り遅れること自体がいけないという論理では、戦いに勝てない。

 昨年から今年にかけて日経や朝日が電子新聞を創刊し、新聞業界がデジタルにシフトしていくことについて、明確に「ウチはじっくり立ち止まって考える」ことを表明している。「ネット如きに活字文化が揺さぶられるものではない」とは物議をかもしそうなセリフだが、ともかく“活字文化の守護神”となりうるべく強烈な自負を持っていることは確かだ。
 野暮を承知で言えば、こんにち活字を使って印刷している新聞社は存在しないので「印刷文化」や「紙文化」のほうが実態に即した表現だと思うが、まあ「文字・活字文化振興法」という法律があるくらいなので、一般的な使用法としては間違ってはいないのだろう。

中日新聞社の「電子新聞」について

 朝日や日経のような大掛かりな電子新聞はうちの社ではとてもできるわけではない。最初は春といっていたが、そう焦らない方が良いので、来年ころには電子新聞もどきというか、そういったものを開始したいと思っている。もどきと言うのは、まず中日新聞の電子新聞は断固として現読を守るための電子新聞だからだ。電子拡材になれと言っているのだけれども、中日新聞を取ってくれたら電子新聞のようなサービスが受けられるという形のものだ。現在の紙の読者を断固として守るためのもう一つの武器という位置付けをした。極論すると販売経費の一部みたいな位置付けだ。メディア局の幹部には「ヒットを狙うな、犠打を打て」と言っている。現読がより一層固まるための犠打を打つ、それが電子新聞だという位置付けで考えている。

 「『バスに乗り遅れるな』ではいけない」とは言いつつも、それに対する研究は抜かりないとのことで、来年ころに現在の読者を対象にした「電子新聞のようなサービス」を行うとのこと。「現読を守るため」「電子拡材」「販売経費の一部」「ヒットではなく犠打」という言葉が使われているように、デジタル上で読者に対しサービスを行うというモデルである。発想としては北日本新聞のウェブ新聞「Webun」に近い形だろうか。北日本新聞はウェブサイトを会員制にし、読者であれば速報や読み物などの新聞記事、富山大百科事典といったコンテンツが読めるようになっている。
 電子版単独で課金を行い収益化を図るというより、新聞を取り続けることのメリットとしての意味を持たせるという考え方か。

コンテンツ「地方版」について

 名古屋本社では中部6県で46種類の地方版を作っている。地方版は、例えば名古屋市内に住んでいる人は市民版を読んでいるが、その隣りの尾張版、知多版、岐阜版というのは読めないわけだ。それで、中日新聞の読者だとこのサイトに加入すれば隣の岐阜県版とか飛騨版、三重版、三河版を同時に読めるよと。きめ細かい地方版はそれなりに効果があるけれども、広域報道力がないわけだ。その部分を打破できるのがネットだから、それでうちの最大のコンテンツである46種類の地方版が中日新聞社の現読者である限り見ることができるという形のサイトにしようと考えている。

 具体的なコンテンツとしてあがっているのが地方版。産経のように紙面イメージの形で配信するのか、それとも朝日新聞デジタルのように再編集するのかどうかまでは読み取れないが、中部6県で46種類もある地方版を読者にネット上で提供しようとしている。新聞好きで時間に余裕のある人には増ページということになり、ウケるかもしれない。
 ただ、新聞を読む時間が年々減っている現状からして、他地域の地方版にニーズがあるかどうかは議論の分かれるところ。

人気が出たら課金

 どこまでいっても電子新聞と紙の新聞は、私たちがいろいろ議論する限り究極的にぶつかる。いろいろ理屈はつくが、最後の形は衝突以外にないから、そうすると最後の形で衝突するのだったら私は断固として活字を守る。それが活字文化を選んだ私らの責任だと思う。だから、ネットも活字を断固守るための補助材料と言う位置付けで、人気が出たらその段階で課金とかいろいろなことを考えればいいということで、状況を待ちながらこの分野は歩いていこうと思っている。

 「電子新聞と紙の新聞は衝突以外にない」という断言する理由は正直よくわからないが、重要なポイントはそこではなく「人気が出たらその段階で課金を考えればよい」という点。つまり、来年の「電子版もどき」の時点では有料化せず、あくまで無料の読者サービスということなのだろう。それにしても「断固」という言葉が好きな御仁だなあ…。

(追記2011/10/26)「一部有料コンテンツも」と発言

 11月18日に京都で行われた新聞大会のパネルディスカッション(文化通信2011年10月24日付に要旨掲載)では、来年出す「電子新聞もどき」について、「本社管内の地域コンテンツを無料なら少し、有料なら全部見られるという形になるだろう」と述べている。インタビューでの発言とは若干違ったニュアンスだ。この辺りがまだ流動的で、完全に固まってはいない様子が伺える。