edgefirstのブログ

国内新聞社を中心としたマスメディア関連のウェブサイト巡回が趣味です。業界紙的なノリでトピックスをメモしていきます。

ネット連動で示した災害放送の新たな地平「ラジオ福島の300日」

 2011年3月11日14時46分の東日本大震災発生から350時間14分にわたり、CMをカットした連続生放送を行い、地震や津波、原発事故情報から生活・避難情報まで様々な情報を流し続けたラジオ福島の1年近くに渡る闘いをつづった書籍。55名の社員の大半が名前・年齢付きで登場する。
 震災発生直後のスタジオ現場を描いた第1章は下のYoutube音声を聞きながら読むとものすごい臨場感が伝わってくる。スタジオも激しく揺れる中、ベテランの深野アナウンサーが即座に災害モードに切り替わり、冷静かつ的確に地震への警戒と沿岸部からの避難を呼びかける声はさすがプロだと感動してしまった。(※2分42秒が地震発生の瞬間)

 ラジオ福島は、震災3カ月前の2010年12月の豪雪による交通マヒを1日近く報道できなかったことを教訓に、震災発生直後からいち早くリスナーからネット経由で情報を収集することを決断。停電で使えなくなった会社のパソコンではなく、スマートフォンGmailアカウントを取得し放送内でアドレスを告知した。さらには試験的に運用していたツイッターでの情報提供を呼びかけた。集まってきた情報は放送内で読み上げるだけなく、災害情報ポータルサイトを立ち上げそちらにも掲載した。ラジオ福島のツイッターアカウント(@radio_rfc_japan)は2012年3月現在でフォロワー数3万と、福島県内の報道機関としては最大。3月11日から24日までの2週間で届いたメールは1万通以上。災害情報ポータルサイトは現在も運用が続いており、毎日7回県内各地の放射能測定値を掲載している。インターネットとラジオを最大限に組み合わせた局として、復興のための挑戦が今も続いている。
[災害ポータル]⇒ラジオ福島 東日本大震災に関する情報サイト
 また、民間企業であるラジオ局が、被災地において営業的に存続していけるかという点についても現実的な視点からスポットを当てている。2011年上半期の営業売上は前年同期比で95.0%と相当踏ん張ったことがわかるが、これは4月5月に入った大口のスポット広告による特需も影響しており、今後どうなっていくかは不透明だ。それでも、この震災で「やはりラジオがあって良かった」「いざというときに頼りになる」と評価する声も多く、下半期も10月から3カ月連続で前年同月比100%を超えたとのこと。地域のメディアは地域によって支えられるものであり、意義が認められたことが数字につながっているのは部外者としても素直に嬉しい。

ラジオ福島の300日

ラジオ福島の300日


 2010年10月に民放連が発表した「震災時のメディアの役割」調査では、「被災地ではラジオの接触率、有用性評価がメディアの中で群を抜いていた」「新聞は震災2〜3日後以降から急速に評価が上昇」といった結果が出ていた。また、震災発生から1週間後ごろまでの間で、平常心を取り戻したり、安心感を得るうえで役に立った手段を聞くと「ラジオ」と「周囲や家族・親戚・友人との口頭での会話」が上位を占めた。他の調査でも災害時のラジオの有効性を示すものが多い。これら調査結果の裏にあるラジオ局関係者の奮闘を知る上で重要な一冊といえよう。
[参考1]⇒【電通】電通報 第4713号
[参考2]⇒大震災時のメディアの役割調査報告 備え、あり方など議論 文化通信 2011/11/07
 興味深かったのはCMカット放送中、お店情報などの生活情報も募集して流していたが、次第に「何をいくらでいくつ売る」という詳細な、露骨な宣伝とも受け取れる情報が目立つようになったとのこと。長すぎる情報を省略したところ提供元から「全部伝えて欲しい」とクレームを入れられたそうだ。こういった相手をリストに残し、CM再開した後に営業に行ったが全く役に立たなかったとのこと。寄せられる情報の扱いの難しさと営業現場のリアルな苦悩が伝わってくるエピソードだ。
 なお、ラジオ福島は福島県を対象とする県域局だが、さらに細かな地域を対象するコミュニティFM局を扱った本としては、「ラジオがつないだ命 FM石巻と東日本大震災」が河北新報出版センターから出ている。紹介文によると、FM石巻では多くのリスナーからSOSメールを受け、放送を通じ個人単位の安否確認を行ったそうだ。こちらもぜひ読んでみたい。