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国内新聞社を中心としたマスメディア関連のウェブサイト巡回が趣味です。業界紙的なノリでトピックスをメモしていきます。

テレビとネット、対極的な現場「ニュースに騙されるな」

 在京テレビ局の政治部記者、ニュース番組のディレクターをまとめるキャップを経て、インターネットのポータルサイトでニュース部門の運営に携わった経験を持つ著者による新書。テレビとインターネットという、今や人々の暮らしにとって欠かせない情報メディアのそれぞれの文化や価値観、ビジネスの捉え方がここまで違うということを描く。さすがテレビ番組ディレクター出身らしく、読者にも現場の情景が目に浮かぶようなドキュメンタリータッチでつづられている。
 前半は政治部記者時代の話。記者同士の「メモ合わせ」のやめられない実態や、「記者会見」と「懇談」の違い、「政府首脳」と「政府筋」はどう違うかと言ったトリビアから、記者クラブへの便宜供与や総理大臣の海外出張に同行する記者への至れり尽くせりのサービスなど、様々なエピソードが盛り込まれる。いわゆる「記者クラブ批判」の材料とするには事欠かない内容だ。
 また、番組ディレクター時代の話としては、「ラーメンは『最大公約数』」という例えで、テレビ局がなぜラーメン特集を頻繁にやるかというくだりが面白かった。1万円のフレンチを食べる人は少なくても、1000円以下のラーメンはほとんどの人が気兼ねなく払える。おまけに取材が楽で複雑な演出も不要。制作費も安く済む。つまりマスを相手にするテレビ的に最も効率が良いといった理由だ。しかし、大勢の人に受け入れられようと思うものばかり作ってきた結果、人々がテレビから離れてしまっているのはまさに皮肉である。
 後半はインターネットのポータルサイトを運営するネット企業に転職してからの話。新聞社やテレビ局からニュースを仕入れる交渉の話や、その際に支払われる「1ページ見られるごとに0.025円」という具体的な金額を挙げ、いかにコンテンツを安く仕入れ、売り上げの半分が利益という高収益体質を維持するかという話が語られる。また、一見自由闊達に見えるネット企業が、実は創業社長に権力が集中し、幹部社員が常に顔色を伺っている実態もある。ヒラ社員の給与や経費を下げ、会社の利益を上げるほど株式市場からは評価され、結果として多くの自社株を持つ経営陣の資産が増えるという現実は「勝者独り占め」の世界そのものだ。
 全般的に、テレビとネットそれぞれの世界の問題点を列挙しているが、唯一肯定的に描かれているのが「ヤフートピックス」。既存メディアを圧倒した理由について、「これまで新聞やテレビが見逃していた、人々のニュースへの本当の需要に応えたからだ」と説明。硬いニュースと軟らかいニュース、みんなが見ているニュースとそれほど注目されていないニュースを組み合わせ、思わせぶりな煽り見出しを使わず、信頼感を高めたことが成功の要因と分析している。特に新聞とテレビの記事の特性について、以下の部分が非常にわかりやすくまとまっていたので以下に引用する。

 新聞記者は記事を書くときに「賞を取りたい」「世間に衝撃を与えたい」と思うことはあっても、読者の需要をそれほど意識していない。定期購読で読んでいる人がほとんどなので、スクープ記事を書いても部数が増えるわけでもない。
 私の知っているベテランの新聞記者は「ニュースは誰の目にもわかる出来事を追いかけるものではない。静かな水面に小さくても波紋が立っていないか、目を凝らして観察するように、記者が探してくるものだ」と口癖のように言う。地に足の着いた取材がしやすい新聞社ならではの見方だろう。
 良くも悪くも、読者が知りたいことを伝えるのではなく、記者が伝えたいことを伝える存在が新聞なのだ。
 一方のテレビは、視聴者の関心に過剰に適応してしまった。テレビの視聴率は分刻みで明らかになる。どのニュースが人気だったか、一目瞭然でわかってしまう。不人気だとわかったニュースは、それ以降は取り上げない。視聴率が取れないニュースは、政策などの難しい話題、硬派な社会問題、海外の民族紛争、派手な演出を施さずに淡々と事実を伝えるニュースだ。どの番組も人気がありそうなニュースばかりを取り上げるので、どれも似たような内容になってしまう。
 ヤフートピックスは新聞とテレビの間にある、単純な数字に表れない本当の需要に応えたのだろう(p.134-135)

ニュースに騙されるな (宝島社新書)

ニュースに騙されるな (宝島社新書)


 さてこの本、それぞれの業界の人が読んだらどんな感想を持つだろうか。既存マスコミの人が読めば「やはりネット企業は信頼できない」「こんな企業が人々に支持され続けるはずがない」と思ってしまうだろうし、ネット業界の人が読めば「だからマスゴミはダメなんだ」「こんな実態があるからテレビ/新聞離れは止まらないんだ」となりそうな気がする。著者は二つの世界を経験したことでニュースの未来について絶望しかけているようで、その不安が残ってしまう読後感だった。