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国内新聞社を中心としたマスメディア関連のウェブサイト巡回が趣味です。業界紙的なノリでトピックスをメモしていきます。

夕刊フジ記者コラム「それでも記事はネットに転載すべき」

 9月1日にリニューアルしたZAKZAK(夕刊フジのウェブサイト)を見ていたら、以下のような署名入りの記事があった。全ての記者がそう思っているわけではないだろうし、この考え方に対して好感を持たない業界関係者も少なからずいるだろうが、新聞社内にも「ネットに記事を載せないことはデメリットが多い」と考えている人はいるという例。

 デジタル面の記事はこれまで、「夕刊フジBLOG」に転載していたが、ブログの一般化に伴い、開設当初の使命を終えたと判断。今年3月末に更新を終了した。そのため5カ月間、デジタル面の記事がネット上から消え、業界関係者や広告主から再開を望む声が相次いでいた。
 5カ月間、ネットへの転載を止めて痛感したのは、いまやネットに載っていない情報は存在しないに等しいという事実である。
 時間をかけて取材・執筆した記事も、新聞「紙」に載せただけでは読者数も限られ、大半が1日で忘れられてしまう。だが、ネットに転載した記事は「紙」の数倍から数十倍の人に読まれるうえ、一定期間はいつでも読み返せる。検索も容易だ。
 新聞記事をネットに転載することに対しては、「新聞社の経営を危うくする」との声や、「購読料を払う読者と無料でサイトの記事を読むネットユーザーの間に不公平感が生じるのではないか」との指摘がある。それでも記事はネットに転載するべきだというのが記者の考えだ。
 前述したように、ネットに載らない記事は最初から存在しなかったにも等しい。存在しない、とはどういうことか。たとえば新聞社の営業担当者が広告主に媒体をアピールしても、若い宣伝部員は「紙」ではなく「ネット」で記事を読んでいるから、ネットに記事が載っていない新聞の存在は知らない。自分が知らない媒体に広告を出せるわけがない。つまり、いまはネットに載せないことのほうが経営を危うくする可能性が高いのだ。
【デジフジcolumn】zakzak転載で考えたネットの重要性と「紙」の効率性 - デジ・MONO - ZAKZAK

 記事執筆者の佐々木氏はデジタル業界を取材対象にしているため、ことさら「ネットに記事が出ないことは、存在しないのと同じ」という考えを強く持つようになったのだろう。すべての取材対象に当てはまるとどうかは議論の余地があろうが、「読む人に届かなければ意味がない」というのはメディアの本質であろう。