edgefirstのブログ

国内新聞社を中心としたマスメディア関連のウェブサイト巡回が趣味です。業界紙的なノリでトピックスをメモしていきます。

決定版マスメディア崩壊論「2011年 新聞・テレビ消滅」

 毎日新聞記者からアスキーで雑誌の編集を経て、現在ITジャーナリストとして活躍する佐々木俊尚氏の著書。すでに書評もたくさんでているが、テレビや新聞などのマスメディアは崩壊するという立場で書いた本としては、決定版とも言える内容。やや煽り気味に記述している部分も多いが、ネットを生息の場とする文筆家の立場からすれば、これくらい煽った方が効果的なのだろう。

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)


 冒頭から「新聞・テレビはもうダメだ。新聞販売店や製作会社など下請けをいじめてるからとか、経営体質がぬるま湯だからとかは関係ない。現にアメリカの新聞社は日本のようにインターネットを敵視せず、ブログやSNSとの融合など新しい試みを続けているが、経営は非常に厳しく倒産が相次いでいる」と、ここ数年にわかに経営環境が厳しくなった日本の新聞・テレビがこれからネットに力を入れてもしょせん無駄だよということを論じている。その上で「08年にアメリカで新聞社の倒産が地滑り的に相次いだが、この流れは3年後日本にも必ず来る」と予言している。
 その論拠として大きいのが、グーグルの及川氏が提唱するメディアの「3Cモデル」である。メディアの構造を新聞で言えば、「コンテンツ(記事そのもの)」「コンテナ(コンテンツを入れる容器=紙面)」「コンベア(コンテナを利用者に運ぶシステム=販売店)」に3つの層に分けて考えると、これまで3層すべてを独占してきたことがインターネットの普及によって「コンテンツ」層しか握れなくなり、「コンテナ」「コンベア」層を握れないことがインターネットの世界では致命的なまでにパワーを失う。なぜならこの2つを失うことは「編集権」と「広告媒体価値」そして決済システムを奪われることだ、と論じている。

  新聞社(以前) 新聞社(ネット普及後) テレビ局(以前) テレビ局(後)
コンテンツ 新聞記事 新聞記事 番組 番組
コンテナ  新聞紙面 ヤフーニュース テレビ ユーチューブ
コンベア  販売店  インターネット 地上波、衛星放送、CATV インターネット

 このモデルを起点に、新聞の没落やそれに続くテレビの崩壊を刺激的に描いている。凸版印刷の電子チラシであるShofoo!のシステムやAmazonの電子書籍端末Kindle、まねきTV裁判がもたらすテレビ視聴形態の変化など、これからメディア業界の展望を考える上で欠かせない事例が豊富に紹介されている。
 ただ、著者の視点はインターネットの完全な普及や情報通信法の制定などより、全ての人がデジタルメディアを自在に使いこなすところに立ち、端的に言えば「ネットを使いこなす賢いユーザーからの見方」だとも言える。このあたり、バランスをとる上で「ウェブはバカと暇人のもの」と読み比べると面白いかもしれない。
 著者は最後に「マスメディア企業は、一度つぶれた方が良いのではないか。屍の中から国民みんなでマスメディアの必要性を考え直せば、今の劣化したバカげた日本のテレビ、新聞とは違ったものができるだろう」といささか“革命的言辞”っぽい言葉をつぶやく。著者にここまで書かせるのは既存マスメディアに対する深い絶望があるからだろうか。
 以下、感じた部分をメモ。

 ネット時代になると、新聞記事の中でどの記事を読んでもらうかどうかは、ヤフーニュース編集部のスタッフたちが決める。彼らが「この記事は重要だから、ヤフーのトップページにトピックスとして掲載しよう」と決めれば、それは数百万、数千万のネットユーザーたちが閲覧する重要な記事になってしまうのである。
 これは現実には起きないことかもしれないが、たとえば新聞の編集局が「これは社会面の片隅のベタで十分」ととらえていた記事を、ヤフーニュース編集部がヤフーのトップページにでかでかと掲載してしまうようなことだって起きうる。編集局の考えはここでは何ら反映されない。要するに編集権をヤフーニュース編集部に奪われてしまうのだ。(p.43)*1

 広告の全てがテクノロジー化していくわけではないし、そこには「どうやって人を感動させるか」「どうやって商品の魅力を消費者に伝えるのか」といったテクノロジーでは解決できない分野もちゃんと残っていくのは間違いない。人間的な感性はこれからも必要なのだ。しかし一方で、人を感動させるためには、まずその記事や広告を消費者・読者に送り届けるためのテクノロジーを理解して使いこなせるようにならなければならない。
 テクノロジーがわからなければ、人に感動を伝えることさえできない時代になってしまったのだ!(p.69)

 (検索エンジンやニュースポータルから流入するユーザーが多い現在)新聞社の公式サイトから記事を読む人は少なくなっているから、「この調査報道は重要だからトップに」と新聞社側がサイトを編集しても、その通りの重み付けで読者が読んでくれるとは限らなくなっている。
 その典型的な例が「麻生首相の漢字読み間違い」報道だ。ネットでは「日本の新聞は首相の読み間違いばかりあげつらって、本当にレベルが低い」とさんざんに批判されているが、新聞社は何も読み間違いばかり報道しているわけではない。首相番や国会担当の記者は本来報じるべき国会での論戦の内容や政局のゆくえなど長い記事を書いた上で、「まあ読み間違いも話題になっているから、いちおうは原稿を送っておくか」と短い原稿を埋め草ふうに書いているだけなのだ。だから実際に新聞の紙面を見ると、麻生首相の読み間違い報道はそんなに大きな扱いにはなっていない。どちらかといえばベタ記事扱いだ。
 ところがネット上ではそういした新聞社側の編集権はいっさい無視されているから、新聞社がどの記事に力を入れて、どの記事をベタ扱いしたかはわからない。結果として本当はベタ扱いの「読み間違い」報道ばかりがやたらと目につき、「レベルの低い報道だ」と批判されてしまうことになっていしまっている。(p.114-115)

 アメリカのように必死にネットで追いついても、日本のようにネットが理解できない頑固じじいのような新聞社であっても、結局はゴールは同じ――滅亡しかないのである。(p.140)

 私はIT業界に本腰を入れて取材し始めてまる十年になるが、この間、業界に出入りする全国紙や経済紙の記者が次から次へと配置換えや人事異動で入れ替わり、新しくやってくる記者たちが何の知識もないのにいつも驚かされた…(中略)…せっかく徹底した記者教育を行っているのに、これではあまりにももったいない。十分に教育された新聞記者は、取材力や文章力は非常に高い。だったらこの能力を生かして、記者たちを多くの専門分野に配置し、じっくりと取材させればいいのだ。たとえば医療分野に記者チームを投入し、十年間異動させずに徹底的に取材させれば、驚くほど専門性の高い報道機関を作り上げることができるだろう。そのチームが作る「医療新聞」は、きっと医療業界人にとってなくてはならないメディアになるに違いない。(p.221-223)

 しかしそうなった暁には、新聞社はいまの新聞社ではなくなっている。そうやってコンテンツプロバイダーへと撤退するということは、メディアビジネスの「小作人」に甘んじて、収益をガクンと減らすことでもあるからだ。販売収益は消滅し、プラットフォームから分け与えられる広告収益だけに依存しなければならなくなる。
 いまのような巨大の組織はとうてい維持できない。これまで記者クラブにあぐらをかいて発表資料を原稿に書いていただけの記者のほとんどは、解雇しなければならなくなる。(p.224)

*1:関連エントリ:[http://d.hatena.ne.jp/edgefirst/20090613/1244889558:title]