edgefirstのブログ

国内新聞社を中心としたマスメディア関連のウェブサイト巡回が趣味です。業界紙的なノリでトピックスをメモしていきます。

地方紙の挫折と挑戦をレポート「新聞再生 コミュニティからの挑戦」

 著者は共同通信社デジタル編集部に勤務しつつ東京大学大学院大学院博士課程に籍を置きマスメディア・ジャーナリズムを専攻する畑仲哲雄氏。巷にあふれる「新聞危機説」は「大新聞危機説」であると説き、地方の読者にとって一番身近な新聞媒体である地方紙が直面する課題や苦悩、そして未来のあるべき姿を論じている。あとがきによると畑仲氏の700ページに及ぶ修士論文を新書判に凝縮したものらしい。

新聞再生―コミュニティからの挑戦 (平凡社新書)

新聞再生―コミュニティからの挑戦 (平凡社新書)


 書籍内では3つの地方紙の姿が描かれる。鹿児島県で南日本新聞と並んで発行されていたが、2004年5月に休刊した鹿児島新報のOBたちが新たな地元メディア創設に尽力する姿。日本の新聞社の中でいち早くブログシステムによるウェブサイトを構築し、読者とのコミュニケーションに活路を見出す神奈川新聞。県紙が存在しなかった滋賀県に2005年4月に滋賀財界主導で作られたが、わずか半年で休刊し運営会社も破産した"みんなの滋賀新聞”。それぞれの事例からは「新聞の再生」「読者コミュニティとは」「新たな新聞作りの挑戦と挫折」といったテーマを扱う。 
 著者が最も言いたいことを大雑把ににまとめると、これからの地方紙に求められるのは、大所高所からの視点で読者に教えてやるという態度ではなく、読者の目線に降りてきて、ともに自らが暮らすコミュニティの問題に悩み、考え、そして討議に参加する場を作ろう、ということだろうか。端的に言うと、下記の引用箇所にそういった考えが色濃く現れている。

 鹿児島、神奈川、滋賀の実践者たちに共通していたもののひとつに、郷土愛という連帯感に基づき、地元の人たちとの関係性を修復あるいは再構築していこうとする強い意欲があった。彼ら彼女らの多くは「ジャーナリズム」という言葉の使用を注意深く避けており、なかでも神奈川新聞カナロコ編集部は「共同体」を意味する「コミュニティ」という概念を導入して、サイト運営を仕切り直していた。その背景には既存の「大手紙」や「一流紙」が使っている「ジャーナリズム」という言葉への違和感があった。(p.182)

 個人的には第3章の「みんなの滋賀新聞」の設立から休刊に至るまでの経緯が興味深かった。共同通信や時事通信から記事提供を受けられなかった*1ため全国・海外ニュースの掲載ができない以上、県民の主読紙にはなりえず他紙との併読が前提となってしまうということが決定的な問題だったことや、県警や県庁記者クラブへの加入問題、メインバンクから融資を断られ、財界出身の社長が個人で1億円以上拠出したなどのエピソードなどは、成熟産業へ新規参入することの難しさを読み取れる。

*1:この経緯や、配信が受けられなかった理由をあまり詳しく書いていないのは「大人の事情」?